3月の終わりに、家から歩いて西山連山の一番北に有る「大暑山」に向かって登って行きました。
一時間ほどで、頂上に着く少し手前で、横のわき道から何台ものオートバイの音が聞こえてきました。20台近いオートバイでした。
女性もいました。
ナンバープレートの付いていない、公道を走れないモトクロス用のバイクです。
皆さん、うるさくて申し訳ないと思っているのか、丁寧に挨拶をして通り抜けていきます。
彼らが走るのは、開かれた西山団地からこの山道を通り頂上に抜けていくのでしょうか。
登る人は少ないのですが、とても細い急な登り坂でテクニックが必要です。
その平坦な西山団地を通り抜けて、大きな送電線鉄塔横からこんどは急な坂道を下ります。
不確かな道なので少し道に迷い掛けますし、滑らないように気を引き締めて下って行きました。
一時間半ほどで、老ノ坂峠に繋がる舗装路に出ます。
京都盆地の西の出入り口がこの老ノ坂峠で、これを超えると冬に霧の多い亀岡盆地に抜けます。
その急な山道から細い山間の舗装路に出た近くに、「首塚大明神」を祀った、お社が有ります。
大きな樹木の生い茂った山の道の突き当りに有り、人もあまり通らないので名前からもチョット不気味な印象ですが、鳥居をくぐった小さな社周辺は綺麗に手入れされています。
信仰厚い人たちが時々手入れに来ている風に感じます。
そこに書かれていた由緒は
【平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の國大江山に本拠を構えた酒吞童子が 京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々をを行うの で人々の心に大きな不安を与えていた。 天子(天皇)は源頼光等四天王に 命じ酒呑童子とその一族を征伐するように命じられた。 源頼光等は大江山 の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の 首級を証拠に京の都へ帰る途中 この老の坂で休憩したが、道端の子安の 地蔵尊が、「鬼の首のような不浄なものは天子様のおられる都へ持ち行く ことはならん」と云はれたが相模の國の足柄山で、熊と相撲を取ったとい う力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子 の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持って帰って来た首が、急に持 ち上がらなくなった。 そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚 をつくったと伝えられる。 酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今まで の罪を悔い、これからは首から上に病を持つ人々を助けたい と言い残し たと伝えられ、首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。
昭和六十一年三月 宗教法人 首塚大明神社務所 】 とあります。
酒呑童子の首を切り落とした刀(童子切安綱=ドウジキリヤスツナ)は、その後徳川家の財宝となり、今は国宝として日本の5指にはいる名刀となっているようです。
「添付資料は宝島社の”日本刀の本”を使わせていただきました」
また、首塚大明神へは山を越えて行かなくても、国道9号線老の坂トンネル手前の細い道を
左折すれば、車でも行くことが出来ます。
鬼滅の刃でも、鬼の首をはねる事が、たびたび出てくると思います。
ここは聖地です。
何か、不思議な空間と時間を飛び回って来たような気分になりました。
(大江山の鬼については、2016年11月22日の 当ブログ投稿も参照してください)笑
1000年以上昔の物刀が語り継がれて現存することにワクワクしますね!
坂田の金時が育った神奈川には「金時山」として有名です。
https://yamahack.com/1650
日本の刀剣は海外に多くのコレクターがいるみたいですし、日本の包丁などの刃物はインバウンドの際のお土産としてとても人気があったようですね!
中世ヨーロッパのSWORDもカッコいいですが、日本の刀には静寂性というか別の良さを感じています。
「童子切安綱」名前が怖いですが、
なんともいえないロマンがありますね。
昔から馴染み深い老ノ坂峠の近くにそんなお社が
あったんですね。
不気味な名前ですが興味そそられます。