【物流2024年問題】 私達の会社は、中国の工場に生産依頼した商品を輸入しています。主な輸送ルートの例でいうと、中国広東省の工場からの貨物を1か所にまとめて、大きなコンテナに積み込んで国境(中国と香港の)を通関して超えて、香港の港へ送ります。 数日後に香港の港を出た船は、3~4日ほどで大阪港に到着します。大阪港で輸入通関をして、数日後には京都の私達の倉庫にその中国を出たコンテナのまま牽引されて到着します。おろした貨物は、仕分けしてお客様の指定した場所へ納品します。 その他にも開発する試作サンプルは工場を夕方に出せば、飛行機に乗って関西空港に着き、通常は翌日のお昼までにトラックで、京都の事務所に配達されます。 これらの物流では、船と飛行機に乗るとき以外は、すべてトラック輸送(牽引も含め)で運びます。国内でも沢山の貨物がまとまれば 4t 車や 2t 車のチャータートラックで、少なければ路線のトラック便で運びます。 仕事を進める上では、無くてはならない重要な貨物輸送ですが、コロナになる以前から運転手不足や車両不足が起こっていました。今年からは運転手の皆さんの残業規制が強化されること等で、より一層の輸送能力の不足が起こりそうです。 陸上輸送から海上輸送を一部でも利用する事や、企業をまたいで共同配送なども計画されています。新幹線の車両を使ったスピード配達も、始まりました。確かに、都市間輸送は日本の優れた鉄道技術をうまく使うことが出来れば、環境面と投資の面でも優れた2番目の物流の柱になる様に思います。今後の大きな鍵は、自動化などの新しい技術が早く追いついて省力化ができるか、ですね。 大阪と京都の間は平安時代よりずっと前から、淀川に底の平らな船を使って人と物を運ぶことが行われて来ました。今は途中にある堰の存在や橋げたの高さ不足などの為、船は使われていませんが復活させようとする動きも有ります。 先日、京都新聞に出ていた記事が有りました。大阪と京都を結ぶ(狭軌軌道の)京阪電車が明治時代からあり、その20年近く後の昭和になって京阪電車の子会社で(広軌軌道の)新京阪鉄道(今の京都線になる)が出来ました。昭和の中頃までは、お年を取った方は阪急電鉄の事を「新京阪」と言い、当時の若い人は「阪急」と言うのが一般でした。 事務所の有る西京極駅は複線の線路が有りますが、北側にはもう一本線路が引けるだけの余裕の敷地が有ります。実際、架線を掛ける鉄塔は、今も線路3本分の幅が有ります。確かに西院変電所の一番南端には、古く錆びの出た小さな鉄橋が、永く残されていました。そして西京極駅の大阪方向に有る天神川の上には、今もその鉄路の鉄橋がまだ残されています。春になれば沢山の桜の花がきれいに咲いて、通勤や通学の皆さんを楽しませてくれるところの近くです。 その場所には「新京阪」と言われていた今の阪急電鉄京都線の開設時には、なんと貨物線が計画されていたそうです。 当初は大阪の天神橋を出た電車は、西京極駅を過ぎると下って行き地下路線になり、西院駅地下終点になります。その為に貨物線を分岐させて、阪急電鉄西院変電所辺りの地上に貨物ターミナルを作る計画だったそうです。 当時のその周辺には、染色工場や養鶏場が少し有ったかもしれませんが、まだまだ畑の多い場所なので開発も容易だったと思います。 しかしその計画は工事の遅れなどにより、実現することの無い京阪神間の、幻の”貨物電車輸送”になりました。 その線路がもし運用されていたら、今頃この辺りは「新時代物流拠点」になっていたかも・・・ 投稿ナビゲーション 天龍寺節分会蓼科山 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ Optionally add an image (JPEG only)