【保津峡】

 

桜がきれいに咲く3月の28日に、保津峡の激流を下る遊覧船が転覆して、お二人の犠牲者が出てしまいました。 ご冥福をお祈りします。

子供のころには、保津峡で「飯盒炊さん」を何度かしていました。

今では考えられない事ですが、水も今よりはずっと綺麗でした。

私は乗船したことは一度も無いのですが、人気のコースなので多くの人が、歓声を上げて楽しんでおられる所を、何度も川岸から目にしました。

今の船は薄いグラスファイバーで出来ていて、定員は30人との事ですが重量は100Kg位は有るのでしょうか。
国道9号線を中型トラックが、その船を三艘縦に重ねて積み上げて、亀岡方面に走って行くのを、時々見かけます。
この川下りの遊覧船は、明治時代から始まったそうですが、昔はどのようにして下ってきた船を、回送していたでしょうか?
3人の屈強な船頭さんが、30m以上あるピーンと張った長い綿ロープを船体に結んで、引っ張り上げていたのです。
3人のロープの長さは、後ろの人ほど少しづつ短くなります。
大きな岩がゴロゴロ転がっている、河原の中を辛そうな顔をして引っ張って行くのです。
もう一人、幾分年を取った船頭さんが、船の上から竹の竿を持って陸地に当たらない様に操船していました。
その頃は今より若干小さな木造船だったと思うのですが、重量は200Kgは有るくらい重たかったのではないでしょうか?
物凄い重労働で、10㎞以上川上まで遡って行きました。
今でもその「風景」は、保津峡に行くと目に浮かんできます。

【私が生まれる前、昭和初期の保津峡と清滝川との合流地点の木造橋】

なんでそんな事を知っているか?

飯盒炊さんの時に、時々来るその引っ張り上げる船を見ようとして、私の首がそのロープに引っ掛かった事が有ったからです。

父親に怒られても、また見たくなって首を上げて見てしまうのです。

それで、絶対に忘れない「風景」になったのです。

”涙と笑”

3件のコメント

  1. 本来 自然の中での遊びや体験はサバイバルな部分もあって、ひざを擦り剝いたり、突き指したりなど 少し痛い目を見たりして、自分と自然との距離感をつかんでいくものなのではないかと個人的にはおもっています。

    ただ、不慮の事故で命を落とされた方がでたことには心が痛みます。令和の時代の自然との向き合い方はどうすればいいのかな。答えはまだわからず探り探り 自分のペースで進んで行こうと思います。
    :!:

  2. あの事故は本当に不幸な出来事でした。

    子供の頃の「外遊び」が充実していて羨ましいです。
    絶景ですねぇ。

  3. 今回、犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。
    長年運ばれる船は見てきましたが、保津川下りは経験がなくて今年こそ乗りに行きたいと思ってた矢先の事でした。
    昭和初期の事はわかりませんが(笑)水が冷たくてきれいな清滝で飛び込んだりした昔の事、思い出しました。
    今思い返すと怖くて考えられないことです。

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