【雨中 雨後 そして・・・】

 先日、秋の紅葉を先取りしようと松尾橋から歩いて嵐山に行きました。

河川敷では子供を連れてデイキャンプをしている人や、のんびり犬の散歩をする人やボール遊びをする人等たくさんおられました。

嵐山に着くと、観光客があふれていて、外国の人もかなり増えてきた印象でした。
大きな大堰川の流れにある中ノ島には、「日中不再戦の碑」が有ります。

日中戦争勃発30年後の1968年に建立されたものだそうです。

若い観光客の人達は、そういった石碑がある事は知らないで、わいわい楽しんでいます。

そして残念な事には、その石碑の前には五平餅の屋台が出て、分かりにくい感じです。


 そこから上流に向かって歩いて行き、街道を右に曲がって渡月橋を渡り、直ぐ左に曲がってさらに上流へ向かいます。

季節により嵐山の深緑や紅葉が、一番きれいに見えるところにでます。

川上から見て左岸(大堰川の北側)に、亀山公園という大きな公園が有ります。

その中に、中国の首相を永く務めて国民からの信頼も厚かった周恩来首相の石碑が有ります。

その石に刻まれた詩が「雨中嵐山」の詩碑です。

 

雨中二次遊嵐山、

両岸蒼松、夾着幾

株桜。

到盡処突見一山高、

流出泉水緑如許、

繞石照人。

瀟瀟雨、霧濛濃、一線陽光穿雲出、

愈見姣妍。

人間的万象真理、 愈求愈模糊、

模糊中偶然見着

一点光明、

真愈覚姣妍。

1919年4月に若い周恩来は京都の嵐山に来てこの詩を詠んだとされています。

日本に留学に来て、京都大学でマルクス主義を始めた学んだそうです。

1978年に日中平和友好条約が締結されたのを記念して、翌年にこの詩碑を建立したと記されています。 二人の青年がその前で楽しそうに写真を撮っていたので、二人を写してあげました。

中央大学に留学に来ている、中国の学生さんが京都に遊びに来たとの事でした。

今も中国の人には、この周恩来首相の詩碑の事は、語り継がれているのでしょう。

 

 元の道を戻って渡月橋を渡り、今度は右岸(大堰川の南側)を川上の保津峡方向に歩いて行きます。

小さくなってしまった戸無瀬の滝を超えて20分余り歩いて行くと、星野リゾートの宿泊施設入り口に着きます。

その玄関の門の前を左の山に向かって、きつい階段の坂を15分ほど登ってゆくと大悲閣千光寺が有ります。

そこには今年の春に、新たなモダンな石碑が出来ていました。

1972年の日中国交回復から50年記念として、「雨後嵐山」の碑です。

 

雨後嵐山

山中雨過雲愈暗,

漸近黄昏;

萬緑中擁出一叢櫻,

淡紅嬌嫩,惹得

心醉。

自然美,不假人工;

不受人拘束。

登高遠望,

青山渺渺,

被遮掩的白雲如帯;

十数電光, 射出那

渺茫黒暗的城市。

これら二つの詩が周恩来首相が若い時に、詠まれたそうです。

私に読み解く力は有りませんが、始めの詩は少し情緒的で、後の詩は帰国した後の政治的な志を現したのかと感じました。

さてこれから50年後に私は生きてはいませんが、どのような「晴天嵐山」になっているのか・・・としばらく考えていました。

3件のコメント

  1. 五平餅の屋台の所、分かりましたが
    周恩来元首相の石碑があったことは
    知りませんでした。
    そろそろ紅葉狩り本番ですね :-D

  2. 嵐山はトロッコ電車の記憶しかありませんでした。。。

    今度訪れる時はこの石碑をみたり、ゆっくり文化的に散策したいです。 :idea:

  3. 嵐山に行っても今までそういう場所や見方をしたことはなかったですが、情緒を感じたり違う発見できるように成長したいです。

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